霊山寺 縁起

霊山寺はもともと飯縄山北側に峰続きの霊仙寺山の麓にあった寺です。天台の戸隠、真言の飯縄霊仙といわれ修験山の寺として隆盛を極めました。しかし、戦国時代に武田勢に滅ぼされ、その末寺である長野市長沼の宝珠院に逃れ霊山寺としましたが、その後度重なる水害などにより寺は衰退してしまいました。

 この荒れた寺から中興の租として大正時代、ご本尊を現在の場所に復興されたのが、寺があった霊仙寺山を見上げる現在の信濃町に育った原田義吽師であります。師は奥様と共に弘法大師の篤信者で四十才を過ぎてから高野山で修行して、托鉢一つで霊山寺を復興したのです。復興当時は真言宗高野山派でしたが、その後智山派に属しています。



 花岡平

 大峯山の中腹に位置し、眺めが良いことから桜坂、雲上台、歌ヶ丘、しぐれ沢、白雲台、往生寺、夕陽ケ丘と共に展望道路八景とされています。

 草創時代長い間善光寺があった地とも伝えられ、また数多くの五輪塔が発掘されたところから五輪平とも呼ばれています。

 附近には、弘法大師の遺蹟岩井堂、並びに県内殉職警察官の慰霊碑、消防関係者の碑などがあります。また、裏手には川中島古戦場の謙信物見の岩が頭上に望まれます。

 一帯は自然休養林として一般に開放され、幾つかの遊歩道が整備されており、物見の岩歩道の登り口にもなっています。